全て揃っている人vs揃えていく人。幸福なのは?
更新日:2022年7月24日

■こんにちは。TEAM-IN(チームイン)の桐生宏樹です。
■以前、メンタル疲れの方へということで、
― 難が「無い」人生は「無難な人生」
難が「有る」人生は「有難い人生」 ―
筆談ホステスとして知られる「斉藤りえさん」の言葉を
ご紹介しました。
■この言葉は、困難な試練を乗り越えた先に
本当の喜びがある。
だから、困難や試練がきたときは、
「うわ、、、嫌だな」
ではなく、
「おもしろい。骨の有りそうな敵がきたな」
ぐらいに考えると、
人生がゲームのように楽しくなってくる。
自分はそう考えているのです。
■どうせ生きるのです。
だったら、楽しく生きたい。
「人生良かった」
「このゲーム最高だった」
「やりきった」
死ぬときにこのセリフを心の底から吐ける人間になりたい。
こんな風になることが、一番の幸せなのではないか?
自分はそのように思うのです。
■こんな前提にたつと、1つ感じることが有るのです。
「だからこそ人間は、何もない状態で生まれてくるのでは?」
人生に意味を持つかどうか。これは人の勝手です。
ですが、自分は人生に意味をもちたい。人間です。
そう考えると、何もない状態からスタートするから楽しい。
と思えるようになりました。
たとえば、なんでもいいのですが。
生まれて何もかも備えていたらどうでしょうか。
(Aさん)
生まれながら石油王。身の回りはすべて世話をしてくれる人がいる。
平和で問題のない社会で、油のように、金だけが自動的に産出され、
自分の懐に流れ込む人生。
(Bさん)
何もない貧乏な状態から、努力して自分が成長。
成長した結果、社会で認められるようになり、収入もあがる。
収入は上がり続けて、自分が満足する仕事についた。
時間ができて、趣味。ボランティア。やりたいこと。
これらに没頭できるようになる。
■断言してもいいのですが、AさんとBさんを比較すると、
Bさんの方が幸福度は高いでしょう。
なぜなら、何もない状態を知っているからです。
最初からすべて揃っていると、有り難みがない。
何もない状態を知っているからこそ、「有る状態」に感謝できるのです。
まさに「有り難い」ですね。

■そして、何よりも決定的な理由。
それは、人というのは
「最初から全て揃っていることではなく、
徐々に揃っていく「過程」にこそ、喜びを感じる生き物である。
と、思うからです。
■キティちゃんのコレクターが一番喜びを感じる瞬間はいつか?
それは、「コレクションが増えた瞬間」ではないでしょうか。
少ないコレクションがすこしずつ増えていく過程。
次は何を手に入れようか?と考えている時間もふくめて、
ない状態から、有る状態へ変化していく。
ここにこそ、喜びを感じる。そう思っているのです。
■したがって、人は、何もない状態から何かを得ると幸せを感じるのです。
ただ、わたしは、ものよりも、人間関係が拡大したときこそ、人はもっとも幸福を感じるものではないかと考えています。
極端な話、ハワイの大豪邸にたったひとりで住んでいて、楽しいのか?
という世界です。
誰かと話をして、誰かと喜びをわかちあい、誰かと一緒に笑う。
これもまた、コミュニケーションがもたらす幸福なのではないか。
そのように思うのです。